そこに見たのは、細く長くつながる一本の道とそこを走るクルマであった。どこまで続く道なのだろうか。もしかしたら、ヨーロッパまで……?
ならば、東京の自宅からユーラシア大陸を陸路で横切り、はるか大西洋に臨むことができる。
自ら運転する中古のカルディナで行く「大陸横断」。2003年の夏に、クルマによるユーラシア大陸横断を実現させたのは、※本誌の連載企画“クルマの「光」と「影」”の筆者であった。(文:金子浩久/写真:田丸瑞穂)
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.1 〜東京の自宅からユーラシア大陸へ〜
行ったことのない大地を走る
そのことへの欲求が生む情熱
とりあえず、波多野先生と同じようにやればヨーロッパまで行けることはわかった。飛行機の窓からシベリアの原野を見下ろした時から、これでワンステップ前進した。
次に刺激を受け、参考になったのはテレビ番組だった。テレビ東京が開局40周年を記念して、個人タクシーを営んでいる父と息子のタクシーに俳優の宅間伸を乗客役で乗せて、天津まで船に乗り、シルクロード北路を通ってヨーロッパからイギリスへ向かうという内容の特別番組だ。
東京神谷町のテレビ東京本社の前で料金メーターを倒し、近代タクシー発祥の地、ロンドンまで走ったらいくらかかるでしょうか、という仕掛けがテレビ的だったが、録ったビデオは繰り返し見た。この番組のプロデューサーにも話を聞いた。
〈中国を外国人がクルマを運転して旅することは禁止されている〉
〈しかし、この番組は開局40周年とユネスコの世界子供年を記念するという名目を立て、然るべき人物を介して中国大使館と数年間交渉した末に実現したもの。個人レベルでは難しいだろう〉
〈仮に許可が下りたとしても、中国当局は“ガイド”という名目の監視官を道中ずっと付けてくる。“ガイド代”と彼らの宿泊費や食費などもすべてこちらが支払わなければならない〉
〈ガイドの目的は、外国人に軍事施設や少数民族居留区などを見させないことだから、こちらの勝手な行動は許されない〉
どうやら中国ルートは難しそうだ。波多野先生たちは陸路でロシアから中国に入ったので、入出国ができたらしい。でも、“ガイド”は付けられたという。中国を通って通れないことはないが、その準備のために多くの時間とエネルギーを費やすのなら、中国を通らないでヨーロッパへ至るルート、つまりロシア・ルートを採ることで情報を収集しよう。
また、中国を通らず、ベトナムからヨーロッパへ向かう南回りルートは、もっと厳しそうだった。まず、陸路での外国人の入国を認めていないインドやパキスタンを通らなければならない。
その先も、アフガニスタンに入ればそこからはトルクメニスタン→カザフスタン→ロシアと進まなければならないし、イランに進路を採ればアルメニアとイラクの間を抜けてトルコに進むことになる。どちらのルートも、紛争当事国や治安状態を示す公的データが芳しくない国々を通らなければならない。中国ルートと同様に、ベトナム発ルートも魅力的だが後回しにした。
繰り返しになるけど、今こうやって書くと、旅が順序立てて準備されたように読めてしまう。でも、そんなことはなくて、まだこのあたりでは“行けるものだったら、行けたらいいな”というぐらいの感じだった。忙しいと、数カ月間は何も情報収集できずに過ぎてしまうことの方が多かったくらいだ。
それでも、意欲を衰えさせないで少しずつ準備することができたのは、行ったことのないところをクルマで旅をしてみたいという欲求を忘れなかったからだ。
また、いつも飛行機で11〜12時間でピュッと行ってしまうヨーロッパに、自分の家の前からクルマで行ってみたかった。飛行機でのヨーロッパ行きは、“途中”の過程がポッカリと抜け落ちているから、もし行けるのなら“途中”が体験できるのではないか。
自分の日常と連続した存在のヨーロッパを見るために行動
ヨーロッパに行く度にいつも感じている、“ヨーロッパは、なぜヨーロッパなのか?”という抽象的だけど大きな疑問を解くヒントぐらい得ることができるかもしれない。フェリーで日本海を渡るけれども、そこから地続きの先にある存在として「ヨーロッパ」を捉えることができるのではないか。
ピュッと飛行機で飛んでしまっては、SF映画で見るワープ(瞬間移動)のようなものだ。ヨーロッパを、自分の日常と切り離されたもの(地理的には切り離されているのだけれど)としてではなく、“つながった先にあるもの”として見てみたかった。そのために、ユーラシア大陸をクルマで横断して行ってみるというのは、とてもいいプランのような気がしたのだ。
もうそれ以上知りたければ行ってみるしかないという項目が増えていき、大使館に訊ねてもはっきりした答えが返ってこなかったロシアのビザについても、旅行代理店経由である程度見通しが付いたのが2003年の年明けだった。夏しか行けないから、準備期間は6カ月しかない。今年を逃すと、次は04年の夏になってしまう。
確実にビザを取得し、クルマを買い、船積みとロシアでの通関のメドを立てておく。同時に、できればロシア人の日本語通訳を同行させられないか。道中、毎日インターネットに接続できる環境を整えられないか。簡単に、ホテルの部屋からダイアルアップでつなげられるとは思えない。などなど6カ月の間で解決しなければならないことがどんどん出てきた。
それでも、なんとか準備を整えて出発できたのが7月31日。東京から富山の伏木港まで行き、通関や乗船手続きを行って1泊し、翌8月1日午後7時に、ロシアのフェリー「RUS」号でウラジオストク港に向けて出発することができた。(続く)
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金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。
田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし5シーズン目に入る。