本編の主人公にしてFBIの女性捜査官を演じるのはエミリー・ブラント。ルール無用の麻薬カルテルとの戦闘を指揮するCIAエージェントをジョシュ・ブローリン、原題のSICARIO(殺し屋)を体現する存在である謎の暗殺者役をベニチオ・デル・トロが演じている。
国境を挟んで激化する麻薬戦争を、緻密なタッチと冷酷なまでのリアリティで描いた作品
本シリーズは、米国とメキシコの国境近辺を舞台として、暗躍する麻薬カルテルと、それを取り締まろうとする米国サイドとの激しい戦いを描いている。
あくまで遵法精神に則って、正しい手続きで立ち向かおうとするFBIの捜査は、際限なく暴力と賄賂を使いこなす麻薬カルテルの前に遅々としてすすまない。そこで、善悪を問わず、非合法な手段であっても目的を達しようと考えるに至るわけだが、その戦いに果たして正義はあるのか?というのが本シリーズのテーマになっていると言えるだろう。
本編の主人公であるFBIの女性捜査官(エミリー・ブラント)は、あくまで表側の人間であり、たとえ非人道かつ残虐な行為を繰り返す犯罪者たちであっても、法律に則ったやり方で裁かれるべきであると考えるが、同時にそのやり方では効果が薄いことも理解している。理解しているが、法を無視することを良しとしない、信念の人である。
彼女が陽の立場とすれば、陰の立場として、犯罪者と同じように手段を選ばない存在として登場するのが、ジョシュ・ブローリン演じるCIAエージェントであり、・ベニチオ・デル・トロ扮する謎の殺し屋アルハンドロだ。本編はFBI捜査官が、米国サイドと麻薬カルテルの無法な戦いを肯定できないものの、法を守って戦おうとする自分の無力さに打ちのめされる様を描いているが、スピンオフでは、自らもダークサイドに身を置いて戦う者たちが、自分たちを超越した国家間の論理に翻弄させる様子を描いている。
どちらにしても、善悪の区別が付き難い中で、正義とはなにか??という際どい問いだけが存在し、その答えは観ている者の考え方、感じ方に委ねられているのである。
例えば、スピンオフ作品である『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』の主人公と言える殺し屋アルハンドロは、妻子を麻薬カルテルに惨殺された検察官が、その復讐のために殺し屋となった、という設定であるようだが、実際には彼の行為は彼の家族が受けた蛮行と何ら変わらない。正義の執行者が法律の及ばない悪の洗礼を受けた挙句に、自らも闇に堕ちているのである。もちろん 彼自身が強欲や野心によって動くことはないのだが、誰かを殺し、痛めつけているという点では全く変わらない。それこそダースベイダーと変わらないのである。
善悪の彼岸にいる者が完全に闇落ちしているかどうかを示すスピンオフ『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』
実は僕はスピンオフ作品である『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』を先に観てしまい、そのハードボイルドなタッチに感銘は受けたものの、今ひとつよくわからない終わり方にやや呆然としてしまい、当該作の記憶が新しいうちに本編『ボーダーライン』を観た。
正直に言って、この2本はできるだけ公開順(つまり『ボーダーライン』→『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』)に、かつなるべく間を置かずに観ることをお勧めする。元々本編である『ボーダーライン』の成功によってスピンオフが作られた、逆に言えばスピンオフである『ボーダーライン :ソルジャーズ・デイ』が製作されたことは後付けだった、最初からセットで作られたわけではないことから、本編だけを観ればいいとも言えるが、両編を観終わった後のいまでは、本編でも十分すぎる存在感を示したキャラクター(CIAエージェントと殺し屋)に焦点を当てるスピンオフ作品を観ないことには、本シリーズが持つ"問いかけ"を十分に受け取ることができない、という気がするのだ。
その問いかけの、問いかけ方の確認と、自分がどう思うかについては、両作を観てから自身で考えてもらいたいが、極めて淡々と暴力と死を描いた本シリーズの出来そのものについて評するならば、僕的には相当に高い点数をつけたい。
少なくとも、アルハンドロを演じたベニチオ・デル・トロについて言えば、本シリーズは彼の最高作品なのではないかと思うし、劇中のキャラクターも、映画史に残るつよい印象をもたらす出色の出来だと感じたと言っておく。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。