史上最強「赤き皇帝」の前に立ちはだかった「若きスペインの英雄」
ミハエル・シューマッハは2000年前半のF1の象徴と言って良い存在だ。1994年と1995年にベネトンで、2000年から2004年にはフェラーリでチャンピオンを獲得し、史上もっとも成功したF1ドライバーである。
F1ワールドチャンピオンを7回も制したシューマッハの記録は未だ破られていないが、2005年はレース中のタイヤ交換がなくなるなど大きなレギュレーション変更もあり、これまで最強を誇ってきたフェラーリが低迷。そしてこの規則変更を味方につけて躍進したのがルノー、そしてフェルナンド・アロンソだった。
アロンソは2001年にミナルディからF1デビュー。非力なマシンにも関わらず力強いパフォーマンスを見せ、2003年にルノーのレギュラードライバーとしてF1に参戦。当時の史上最年少記録を次々に更新していく。そして2005年、勝てるマシンを手に入れたアロンソは一気にF1の主役となった。この年アロンソはマクラーレンのキミ・ライコネンとチャンピオン争いを演じ、シーズン7勝を挙げて初の世界王者となったのだ。
この年、シューマッハとアロンソはチャンピオン争いにおける直接のライバルではなかったが、2人の凄まじいバトルが行われた1戦がある。第4戦サンマリノGPだ。
苦戦するシューマッハ。勢いに乗るアロンソ
開幕3戦で2勝を挙げ勢いに乗るアロンソに比べ、シューマッハはたった2ポイントしか獲得できておらず、明らかに苦戦を強いられていた。
しかし第4戦サンマリノGPではこれまでタイヤ規則に苦しめられていたフェラーリが速さを見せる。
当時の予選方式は1周のアタックを土曜午後と日曜午前にそれぞれ行ない、その合算タイムでグリッドを決めるというもの。
シューマッハは初日から速さを見せていたが、2日目の予選でコースオフしてタイムをロス。この結果13番グリッドからのスタートになってしまった。一方アロンソは予選2位で好調をキープ。しかしアロンソのエンジンは前戦バーレーンGPで酷使されており、練習走行から周回数を稼げずにいた。
決勝レースではマクラーレンのキミ・ライコネンがポールから抜け出すもトラブルが発生しリタイア。これでアロンソがトップに立ちレースを引っ張る展開となるが、フェラーリの地元であるイモラでシューマッハは怒涛の追い上げを見せる。ピットストップをあえて遅らせ3位に浮上、そして終盤2位に上がりアロンソを猛追、ついにアロンソの背後まで迫るのだ。
先述した通り、アロンソはエンジンに不安を抱えており、シューマッハのスピードに対抗するペースではなかった。ここぞとばかりにプレッシャーをかけるシューマッハだが、アロンソは冷静にミスすることなくシューマッハをブロック。周回遅れが現れても落ち着いて、無理に追い抜くのではなく、自分のペースで後続を押さえ込んでいく。
今まで何人ものドライバーがシューマッハのプレッシャーを受けてミスを犯してきた。しかしこの若きスペイン人は冷静に絶対王者の猛攻を振り切り、0.2秒差の接戦を制したのだ。
この世代交代を象徴させるレースの翌年、2人は世界チャンピオンをかけて直接対決に臨むことになる。
王者同士の一騎討ち!熾烈を極めたチャンピオン争い
2005年はフェラーリの不調により、2人の対決はチャンピオンをかけた戦いではなかった。しかし2006年はフェラーリが復調し、開幕戦から2人はトップ争いを演じる。
アロンソが世代交代を印象付けた前年のサンマリノGPだが、この年はシューマッハがアロンソにリベンジを果たす。シューマッハはサンマリノGPで当時アイルトン・セナが持っていた最多ポールポジション獲得数を破り勢いに乗っていた。
決勝ではアロンソがシューマッハを追うという前年とは逆の展開に。シューマッハは1回目のピットストップのあとペースが上がらず、アロンソが真後ろまで迫ってくる。しかしこれはアロンソにタイヤが限界と思わせ、先にピットインをさせるための「演技」だったのだ。
アロンソは先にピットインするも、シューマッハはそこから一気にペースを上げ、アロンソの逆転を許さなかった。残り4周、それでも食らいつくアロンソだったがビルヌーブコーナーの二つ目でミスし、差が2秒も広がってしまう。シューマッハはチームが用意した作戦を完璧にこなし、前年の雪辱を果たしたのだった。
互角のレースを展開する2人だったが、アロンソは開幕戦でシューマッハとのバトルを制し優勝、その後も勢いに乗り前半9戦中6勝とチャンピオンシップをリードする。しかし後半戦からシューマッハとフェラーリが巻き返してきた。前半戦2勝だったシューマッハだったが、第16戦中国GPまでに5勝を挙げ、残り2戦で2人はポイントが同点で並ぶ。そして、決戦の場は第17戦日本GPへと移されたのだ。
16万人が見つめた2人の最終章
イタリアGPを制し、2006年シーズンで引退することを発表したシューマッハは続く中国でも優勝し2人のポイントは同点。天王山となる鈴鹿には16万人ものF1ファンが駆けつけ、時代の節目を見届けようとしていた。
最終盤にきてポイントが並ぶと、日本のブリジストンタイヤを履くフェラーリとシューマッハにとっては有利な状況に。予選でもフェラーリは圧巻の速さを見せておりフロントロー独占。一方アロンソは3列目からのスタートだ。
決勝はフェラーリ勢が逃げる展開で、シューマッハがトップ、相棒のフェリペ・マッサがシューマッハをアシストする形でフェラーリがレースを進めていく。しかし5位グリッドからスタートしたアロンソは2位までポジションを上げ、シューマッハとの間に5秒の間隔を保ち続けた。
追いついても抜けないことがわかっていたアロンソは真後ろではなく、見えないところからシューマッハにプレッシャーを与え、自分はエンジンを労わりながら走ったのである。
そして37周目に、シューマッハのエンジンが力尽きリタイアという衝撃のドラマが待っていた。これをきっかけにアロンソは逆転優勝、ほぼチャンピオンを手中に収めたのだった。
シューマッハのエンジントラブルは不運でしかないが、それを引き起こさせる環境を作ったアロンソの技は見事としか言いようがない。
まさにシューマッハに引導を渡したアロンソ。最終戦でもきっちり2位を獲得し2度目の世界王者に輝いた。最強の称号が引き継がれた瞬間だった。
2021年にフェルナンド・アロンソがF1復帰を発表!
2018年シーズン終わりに一旦F1から離れたアロンソだったが、2021年に古巣ルノーから復帰することが発表された。F1引退ではないと語っていたアロンソだったが、彼の復帰は世界中のF1ファンに驚きと喜びを与えたことだろう。
2006年以降、マシンやチームに恵まれずチャンピオンになることができなかったアロンソだったが、今もなお現役ドライバーで最強と呼ばれるほどドライバーとしてのポテンシャルは高い。
現在のF1はメルセデス、特にルイス・ハミルトンが無類の強さを誇っているが、マックス・フェルスタッペン、シャルル・ルクレール、ランド・ノリスなど実力のある若手も活躍している。そんな中、職人アロンソがノリに乗っている若手相手にどのような走りを見せてくれるのか、今後のF1にぜひ注目していただきたい。
河村大志|Taishi Kawamura
2輪、4輪問わず幅広くモータースポーツの取材・執筆を行うフリーランスのモータースポーツジャーナリスト兼スポーツライター。F1やMotoGPといった世界最高峰のカテゴリーだけではなく、各国の若手育成プログラムやモータースポーツに関する歴史などを取材し、研究テーマにすることをライフワークにしている。