トップの写真は、日本からフェリーで渡ったロシア最初の都市、ウラジオストクの中央広場で開催されていたバザールの様子である。これだけ情報化社会として発達しているように思われていても、本当に知りたいことは自らが体験してみないとわからない。ユーラシア大陸横断中、とくにロシアでのご当地事情を振り返る。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

素材を生かした手作りの食事に感じた美味さ

翌日の行動目的は、チタ行きのシベリア鉄道にカルディナと自分達を乗せる算段を整えることだった。

朝食は、昨晩、閉まっていたガソリンスタンド隣のカフェ。紅茶に、苺ジャムを塗ったパン。昼は、目抜き通りの食料品店で買ったピロシキにオレンジジュース、小さなリンゴ。間食に、チョコレートの「スニッカーズ」ひとつ。

ここの食料品店は、品揃えが充実していた。日本や欧米のスーパーのように、あふれんばかりに商品がひしめきあっているというわけにはいかないが、肉、牛乳とチーズ、各種缶詰め、パン、飲み物、菓子などが一通り揃っている。パン、鰯とレバーパテの缶詰め、ビスケット、水などを購入した。

この店に限らず、ロシアの地方の食料品店のほとんどは、“閉架式”だった。日本や欧米のスーパーのように、客が勝手に品物を手に取ってはいけないのである。店員に、「◯◯が欲しい」「△△は、ありますか?」と、まず訊ねなければならない。無愛想に渡された品物と引き換えに、代金を渡すシステムになっている。だから、買いたい品物が複数ある場合に、スラスラと列挙できないと、店員は露骨に嫌な顔をする。

夕食も、スタンド横のカフェ。そこしかないのだ。

画像: 「今晩のお供にしたいウォッカは……、そしてつまみは……」ひまなのか、それとも監視役なのか、店員さんがジッと見守る中で買い物をする。

「今晩のお供にしたいウォッカは……、そしてつまみは……」ひまなのか、それとも監視役なのか、店員さんがジッと見守る中で買い物をする。

ロシア製ビールの銘柄は、同行してくれた留学生通訳のイーゴリ・チルコフさんに何度聞いても、憶えられない。麦の穂がデザイン化されたラベルが張られたヤツだ。よく冷えた小瓶で、乾杯。キュウリのサラダに、ペリメニ。田丸瑞穂さんは、トマト・サラダに、ハンバーグ。イーゴリさんは、ボルシチ(ビーツのスープ)に、鳥のモモ焼き。

ペリメニというのは、ロシアの水餃子だ。僕と田丸さんはペリメニの虜になってしまっていた。味は、日本や中国のとほとんど一緒。サワークリームを落とすのが、ロシア流。サッパリした味になる。

ロシアの料理や食料品は、総じて分量が少ない。欧米よりも少なめ目の日本よりも、さらに少ない感じ。メニューの種類も少なく、ハンバーグや鳥モモ焼きのように、特別に、ロシアならではという料理も少ない。鮮度も低いものが多い。

だから、うまいものを探して食べてみようという、旅の食事の楽しみの要素が弱くなる。最初の数日間は、そうしたロシアの食事情に、もの足りなさを感じていたが、しばらくすると慣れてしまった。だから、痩せたのだと思う。

それでも、手作りで美味しいものや今まで食べたことのないものに、楽しみを見い出すことができた。パンやピロシキなどは、売っている店で作られていることが多い。タイミングが良ければ、焼き立てや揚げ立てを食べることができる。

クラスノヤルスクの先、アーチンスクの手前のロードサイドカフェで食べたウズベキスタンのカレー風味スープヌードルがうまかった。

「これも入れると美味しいわよ」

カフェのオバちゃんが、入れ忘れた刻みハーブを手づかみで麺の上に放り込んでくれた。大葉のような苦味が口中に拡がった。

また、ウラル山脈を挟んだヤルトロフスクやウファで食べた、屋台の串焼き肉も美味だった。羊や牛の肉の味が濃厚で、そこに香辛料が摺り込んである。

バイカル湖周辺の国道沿いで買い食いしたオムリという魚の薫製も、食べたことのない味がして、良かった。土着性が高く、手作りで素材の味が生きているものが、結局、舌の楽しみを拡大してくれるのだ。

よく考えてみれば、広大な国土を、様々な民族が構成しているロシアに単一な“ロシア料理”などがあるわけがない。ただ、土地々々の食べ物があるだけのこと。その味は、そこの土地の味なのだ。その点では、ロシアも他の国と変わらない。
(続く)

画像: 親しそうに店員と話をする金子氏。CCCP(キリル文字でエスエスエスエルと読む=USSR/ソビエト連邦)の文字入りジャージを購入した時のカット。

親しそうに店員と話をする金子氏。CCCP(キリル文字でエスエスエスエルと読む=USSR/ソビエト連邦)の文字入りジャージを購入した時のカット。

画像2: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.25 〜ロシアを走って感じた「ご当地事情」〜

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

画像3: ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.25 〜ロシアを走って感じた「ご当地事情」〜

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの製作販売も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の連載ページを担当撮影をし6シーズン目に入る。

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