『ジョーカー』で日本でも一気に知名度を上げるであろう名優ホアキン・フェニックス主演のダークアクションサスペンス。
PTSDを抱えた主人公が暴力の世界に生きながら壊れていくさまは、ある意味『ジョーカー』に限りなく近い設定だ。
画像: 6/1(金)公開『ビューティフル・デイ』本予告篇 youtu.be

6/1(金)公開『ビューティフル・デイ』本予告篇

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終始重苦しさが漂うダークなハードボイルドムービー

主人公のジョーは、幼年期に父親から受けていたと思われる虐待の記憶から逃れられず、ひどいPTSDを抱えながら、認知症の母親とともに暮らしている。呆けが始まっている母親の世話をしながら暮らしているという設定自体が『ジョーカー』と同じだが、ジョーカーの主人公のアーサーがトラウマに苦しみながらも普通の生き方を目指しているのに対して、ジョーはどっぷりと暴力の世界に生きており、金で雇われては人探しをしたり、対象者を痛めつけるようなヤクザな仕事をしている。

あるとき、ジョーは知事選の最中の上院議員から、少女買春グループに拉致されていると思われる彼のニーナ娘を救い出す仕事を請け負うが、娘を議員に渡す前に議員は殺され、さらにジョーたちも何者かの襲撃を受けて、ニーナは再び誘拐されてしまう。

銃を突きつけられながらも反撃して危地を脱するジョーだったが、自宅に戻ると愛する母親は殺されている。母親を湖に葬りながら、そのまま自死をしようとするジョーだったが、拐かされたニーナを救い出さなければと思い返し、自殺を思いとどまる。

果たしてジョーはニーナを救い出せるのか?そして、彼を巻き込んだ惨劇の黒幕とは?

終始言葉少なに進み、印象的な音楽と繰り返される幼年期のジョーの苦しく悲惨な想い出のフラッシュバックが続く、重苦しさが充満したダークなハードボイルド映画だ。

鬱々とした気分に襲われている男の崩壊していく精神

前述のように、本作は『ジョーカー』の設定によく似ているし、徹頭徹尾暗い暴力と、鬱々とした気分に襲われている男の崩壊していく精神状態が描かれている。

違うのは主演のホアキン・フェニックスの体型の違い(『ジョーカー』では病的に痩せた、ある意味キリストを思い起こさせるような貧相な男の身体だったが、本作ではガタイはいいが、脂肪がつきすぎた、ややだらしない中年男のそれだ)と、最終的に狂的な暴力にたどり着く『ジョーカー』に対して本作では最初からハンマーで容赦なく人を殴り倒せる男が主人公であるという点だ。
(とはいえ、本作のジョーも、暴力を楽しんでいるわけではなく、誰かを殴り倒すたびに自ら深い精神的ダメージを負っていくように見える)

本作は図らずも娼婦のような扱いを受ける少女を救う男の話という点では『タクシー・ドライバー』や『レオン』に似ており、むしろ救い出す少女にどこか精神的に救われるという構図も同じだ。
しかし、本作には『タクシー・ドライバー』の主人公トラヴィスのような自己肯定的なスタンスは皆無で、常に死にたがっているように見えるし、『レオン』のように少々に対して抱くささやかな恋慕はなく、常にドス黒い闇が主人公を包んでいる。
ただ、ジョーはニーナが口にする「ビューティフル・デー(良い天気の日)だからどこかに行こう」という一言に、生き続けていく理由を見出す。それがわずかな救いであり、それ以外は、本当に鬱々としたモードが全体を覆う、とても暗い作品なのだ。

逆に言えば、カミュの名作「異邦人」では、太陽が眩しすぎるからという理由で主人公は殺人を犯すが、本作では良い天気だから死ぬのをやめて生きていく理由を見出す。

暗すぎる人生だからこそ、邦題となったこの美しい日、ビューティフル・デーに生きていく意味を見いだせたと言えるかもしれない。
暗いトーンに目を向けるか、そのわずかな救いに注目するか。そのどちらかを選ぶ観客によって評価が分かれそうな作品といえるだろう。

画像: 『ビューティフル・デイ』を観てから『ジョーカー』を観たら病むかも。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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