江崎孝徳(えざきたかのり)
高校卒業と同時に大阪の実業団「サイクルワールド」に就職し同チームに在籍。師匠の三浦恭資選手と活躍する。2000年にプロライダーとして活動開始、2001年には全日本・アジア・ナショナルポイント・シリーズ総合チャンピオンの4冠に輝き、日本人初快挙をなす。また、同年の世界選手権大会ではルール改定後日本人初の完走(68位)。その後の世界選手権大会でも日本のみならずアジア人初の50位以内に入り、2003年のUCIポイント(世界ランキング)はアジアNo.1を獲得。2006年よりオリジナルブランド「ProRide」主催。キッズやジュニア選手の育成にも力を注いでいる。また、「楽しさは安全から」をテーマに、人とクルマと自転車の共生を目指して活動している。
自転車をはじめたきっかけはマンガだった
もともと私はスポーツがそれほど好きなわけでもなく、ましてや得意なわけでもない。そして積極的でもない子供でした。水泳では顔を水面につけることができず居残り、鉄棒はぶら下がるだけ、跳び箱は5段が限界、少年野球は二年で辞めて、50m走で10秒切ったのは中学一年生……。
しかし中学生時代に読んでいたマンガの影響で、ママチャリで山道を駆け下るダウンヒルにのめり込んだのが自転車との出会いでした。
常に全力疾走!
考えること、想像ができることは必ずできる! 私はいつもそう思い込むようにしています。それに関係するような、または近づくようなことにはすぐに取り組むことが大切です。
高校生のある日、サイクルショップでイタリアのコンコーニ博士による「心拍トレーニング」という本を購入したのが、そのきっかけだったかもしれません。コンコーニ博士によると「ATポイントがなんとかかんとか(内容はすっかり忘れました)」と書いてありました。(心拍数は運動強度に比例し、心拍数がはやいほど運動能力も高くなる。だからはやいペースを維持……的な話だったかな?)
つまり、結局ぶっちぎって走れば良いんでしょ?という解釈のもと、全力走のペースが落ちないようにパルスメーターを装着したことを覚えています。
練習は常に全力。回復を待ってまた全力。これで九州地区2位でした。前を走るのがジェフという当時の日本チャンピオンでしたから、次の日本チャンプは俺だろう!と強気な高校生でした(笑)。
取り巻く環境で大きく変わる
実はこれ、とても重要なことです。
まわりにパワフルな仲間がいるだけで、自分の潜在能力が開花します。私にとって最初は幼馴染の純一君。それからプロショップのクラブ員のオヤジども(失礼!)。
みんなとても面白く、実力派で競技志向。我の強い一徹な人たちはかなり迫力がありました。そうした人達に対し、一歩でも引いたら負けだと。必死に自主練習をして、オヤジどもをカモにしてやる!という気概で日々を過ごしましたよ。
多少自転車の性能が劣っていても追走し、もし機材が同じなら勝てる!という迫力が私にはあったと思います。なにせこちらは若く、体力がありあまっていましたから。
壱岐島一周レースでデビュー
ある日、行きつけのショップが開催している朝練で、ロードレーサーを相手にマウンテンバイクで走る機会があったんですが、そのときは実力の差がはっきりわからなかったんですね。
機材を同じにして実力の違いを知ることが今後の伸びしろにもなるだろう……ということで、ロードレーサーを購入し、再度朝練に合流すべく練習を重ねました。
ところが、ひょんなことから同ショップの岩井店長に「6月に開催される壱岐島一周のレースがあるが出てみない?」と誘われ、出場を決意。
「入賞は難しいだろうけど、20歳以上の島一周レースに出たら勉強になるよ」という言葉が僕に火をつけます(笑)。
作れる時間があればロードレーサーに跨がりトレーニングの日々。その結果、デビューレースとなる壱岐島一周レースでは、招待選手を含む最上位クラスによる数名の逃げ集団に乗ることができ、そのまま集団でゴールするもクラス別で優勝!
誘ってくれた岩井店長は大興奮です。なぜなら、草レースとはいえ公道を使った島一周40kmという過酷なレースでの勝利だから。
内容も良かった。勝負所で動いた選手は、九州で指折りの強豪ばかり。さらに招待選手であったロードレース界のキング・三浦恭資さんも加わる最強の布陣だったんです。
レース後は、三浦さんに会って来いと背中を押され、話してみるとなんと同じ小学校に通っていた11歳年上の先輩という偶然。そして三浦さんに、彼が所属するマウンテンバイクチームに来ないかと誘われます。これがきっかけで実業団選手の道を歩み出しました。
最高の環境と最悪の結果
実業団チームの拠点は自転車の都市・大阪です。やはりパワーピープルにはパワーピープルが引き寄せられるようで、トラック競技、ロードレース、トライアスロン、マウンテンバイクなど、当時のチャンピオンがすべてトレーニング仲間という環境。
強烈な個性を持つ面々から一流の生き方を学ぶのに多くの時間は必要ありませんでした。とはいえ、メジャーレースでの1勝を上げるには3年近く時間が掛かりましたけど。
22歳でシリーズチャンピオンになり、初めて出場した世界選手権で、未だに破られていない最高順位でゴール。これは今思い返してもとても気分がいい(笑)。
翌年は国内選手権で2位になるも日本チャンピオンを獲得。さらに良い環境を求めて転籍をしたんですが、それが悲劇の引き金となりました。
チーム移籍だけでなく居住環境も変える転籍は大きな賭けです。それは見事に失敗、いや大失敗です。最速のライダーとして名を馳せた昨シーズンと打って変わり、周回遅れの3流選手に落ちぶれてしまいました。
良くない環境を変えるために、チームを辞めることを決意。そこから50日後に行われる国内唯一の賞金レースに照準を合わせました。狙ったレースで勝利できたら現役続行。勝利できなければ才能がないとあきらめ引退を決意する──。
その賞金レースで、大きなトラブルに見舞われるものの、圧倒的な追い上げで勝利!自分に実力があることが確認できたため、翌年は現役続行を決断したものの、過去に周回遅れになるような選手のスポンサーは見つからず。サイクルショップのクラブチーム員として再起をかけることにします。
最高を取り戻すために
主だった収入はなかったものの、気の合う仲間との絆は深いものがありました。
サイクルショップの故・野原専務、ツールドフランスを始めて完走した株式会社インターマックス代表の今中氏、彼らの支援のもとでモチベーションも回復し、再デビューを目論みます。
秋、冬、春と6か月間徹底的に自分を鍛え上げます。週40時間のトレーニングはクレイジーだともいわれましたが、最強になるには最強のトレーニングしかないのです。
その結果、開幕戦から圧倒的な勝利と勝率でシーズンを駆け抜け、シリーズチャンピオンと全日本チャンピオンを獲得!
その勢いのまま韓国で開催されたアジア選手権で優勝と、世界選手権以外に出場可能なエリアレースではすべてタイトルを取ることができました。
アナタもパワーピープルにならないか?
世の中すべての方が粛々とした人生を送っていては、若い方々が夢や希望を持てません。何でもいいのです。馬鹿みたいに楽しんでパワーを発散してください!もちろん失敗することだってあります。
大切なのは、できない理由を考えないこと。全部できますし、やり切れるはずです。少しづつ修正していい笑みを獲得できるよう、自身の成長を楽しんでいただければ充実した時間を過ごせること間違いなしです。
また、パワーピープルになるには、パワフルな人たちの中に入り込むことが重要です。 大切なのは良い悪い、正しい正しくないと白黒つけず、興味を持ってそこに入ること。そして携わる人たちを好きになること。
知識や経験を蓄えたら、そのときもっとも近い人を熱狂させてみてください。いずれそれが繋がり、その連鎖によって日本全体がパワフルになっていくでしょう。
私も微力ながらパワーピープルを生み出せるように尽力します!
もし周りにパワーピープルが見つからないのなら、ぜひ私と友達になりましょう!(笑)きっといい連鎖反応が起こせるはずです!