シャイニング(=超常能力)を持ちながら、それを隠して生きることを選択した男の物語
“シャイニング”と呼ばれる不思議な超能力を持つ少年ダニーは、両親と共にコロラド州のロッキー山頂のオーバールック・ホテルに滞在するも、ホテルに漂う狂気に蝕まれた父親に殺されかける。
危うく難を逃れるダニーだったが、そのトラウマから、自身の力を封印して誰の目にも止まらないようひっそりと暮らす生き方を選択する。ダニーが持つ不思議な力は文字通りシャイニング=輝くモノであり、闇の者からすると垂涎の対象となるらしかったのだ。
(『シャイニング』あらすじ)
やがて成長したダニーは、自分と同じような力を持つ少女アブラと遭遇する。アブラにも自分と同じく力を封印するように忠告するダニーだったが、アブラが闇に生きる邪悪な者たちからすでに命を狙われていることを知ったとき、彼は自らに課した掟を破って アブラを守る決意をする----。
スティーブン・キング原作、ジャック・ニコルソン主演の名作ホラー『シャイニング』の、正統な続編となる作品だ。
説明のなさがキング流の恐怖のタネか?
本作では、吸血鬼と思しき(血は吸わないが) 闇の住人たちとの戦いを決意し、自らの力=シャイニングの解放を決心したダニー(ユアン・マクレガー)が描かれており、オーバールック・ホテルが持つ恐怖や影響力はあくまで副次的なものに過ぎない。
実際、スティーブン・キングのホラー作品には、この世のものならぬ邪悪な存在がほぼ必ず登場するが、その理由や意図などは描かれないことが多い。『シャイニング』にあってもそれは同じだ。
それが(キング作品を含む)西洋的ホラーと、日本の心霊映画の最大の相違であるようにも思うが、本作においても結局オーバールック・ホテルがなんなのかはまったく語られることがない。
ダニーが少女アブラを守るために戦う相手も、何世紀もの間、多くの人間を犠牲にしながら生き抜いてきた闇の一族ではあるが、それがなんなのかはよくわからない。彼らが存在するわけは基本的に説明がないのである。
だから、彼らがダニーが生涯をかけて逃げていた相手、というわけでもない。たまたま悪い相手に遭遇してしまった感じだ。
逆にいうと、そういうわけのわからない存在は実はそこいら中にいて、偶然出くわしてしまうからこそ、本当に怖いものだとも言えるのかもしれない。ダニーもアブラも、人智を超えた恐ろしい存在との戦いを余儀なくされるが、求めてそうなったとか、運命的な対決というよりも、偶然そうなってしまったというところだ(アブラの場合は、若干 その好奇心が招いた遭遇だとも言えるし、ダニーにしても、その“シャイニング”が闇夜の明かりのように闇の者を惹きつけてしまうからこそ力を隠し通そうとしていたとも言えるのだが)。
この映画を観るたいていの人は、いい意味で平凡な人間である(不思議な力を持っていたりはしない)と思うが、それでも 悪意ある者と不意に遭遇してしまう不幸を引き寄せてしまうことはあるかもしれない。
本作、あるいはスティーブン・キング作品が持つ真の恐怖は、そういう不可避な偶然が、どこにでも潜んでいるという真実にうっかり我々を気づかせてしまうことかもしれない、と思うのだ。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。