1992年4月末に発生したロサンゼルス暴動は、白人社会と黒人社会の対立を浮き彫りにした。実際に起きた人種暴動事件をベースに、現在もまだ米国社会を分断する人種問題を平凡な家族の視点で描いた問題作。

ロス暴動によって悲劇へと巻き込まれていく、ある家族の物語

1992年4月末、黒人男性ロドニー・キングに過剰な暴行を加えたとされる、白人警官4名に無罪判決が下されたことを不服とする黒人たちが起こした抗議デモは、ロサンゼルス全体に波及し、一週間近く続く大規模な暴動へと発展する。

本作の主人公の黒人女性ミリー(ハル・ベリー)は、血の繋がらない 不幸な生い立ちの子供たち(白人も黒人もラテン系も)を引取っては深い愛情を込めて真の家族として育てていた。下層白人そのものの粗暴な下品さをみせる隣人オビー(ダニエル・クレイグ)は、ミリーの子供たちの四六時中の騒々しさに常に悪態をつくが、その実 深い愛情でつながるミリー達の暮らしを理解し、好ましく感じていた。

しかし、やがてそんな彼らの暮らしをロス暴動が一変させていく・・・。

赦すことも赦されることもできない難しさ

本作を観ていて思うのは、黒人たちを追い込む差別意識は確かに白人社会に根強く存在するのだろうが、逆に黒人たちの心の奥にも自分たちを虐待し続けた白人文化への決して忘れ得ぬ怨恨の気分が消えることなく存在し、些細なきっかけでも暴発してしまう危うさがあるということだ。
同時に、被害者として白人の不条理な暴力を誘発させる黒人側にも、そもそも犯罪者としての悪意というか法を犯して何が悪いとでも言いたげな不作法がある。つまりはどっちもどっち、と言わざるを得ない、どっちみち発火してしまうだろうと思わざるを得ない火種を双方が抱えていることを感じてしまうのである。

本作のヒロイン ミリーは黒人であり、なにゆえ可哀想な子供たちを自分の子供として育てるようになったのかはわからないが、その子供たちは黒人もいれば白人もいる。黒人の子供が多くなるのは、虐げられたり貧しい家庭に育つのが黒人家庭に多いという現実を反映しているだけで、ミリーの目には肌の色の違いは恐らくは映ってはいない。
そして、無教養な白人である隣人のオビーは、黒人ら有色人種への偏見を持っていてもおかしくないが、やはり肌の色の違いを気にする様子もない。

だけれども、彼らのそんな思いがあってさえ、彼らもまた暴動に巻き込まれていくことは不可避なのである。

現代のBlack Lives Matter運動と比べても、何の変化も進化もないように思えるのは、何十年経っても肌の色の違いに起因する怨嗟と復讐の連鎖が、いかに根深いかを思わざるを得ないし、どうやっても解決し得ないのではないか?と暗澹たる気分にさせられることなのだ。

そして、我々日本人にとっても、決して他人事ではない、世界はいまだに一つにまとまることはあり得ない哀しい事実を思い知ることなのである。

画像: 『マイ・サンシャイン』が描く人種問題の根深さ

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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