タイトルの“クイーンズ・ギャンビット(Queen's Gambit)”は、チェスの序盤戦における定石(オープニング、という)の1つ。本作が描いているエリザベスの生涯が8歳から22歳、つまり人生のオープニング時期であることとリンクしたネーミングなのだろうか。
ストーリー
舞台となるのは米ソの冷戦が顕在化し始めた1950-60年代。
主人公のエリザベスは(故意に起こした?)交通事故で母親を亡くし、9歳から孤児院で育つ。チェス好きの用務員との偶然の出会いから、才能を開花させた彼女は、長じるごとに深まる孤独を振り払うかのようにチェスにのめり込む。薬物やアルコール依存症に悩まされながらも男性上位のチェスの世界にあって頂点(グランドマスター)に向けて上り詰めていく。
男性優位の社会に挑む若き女性プレーヤーの挑戦
ヒロインのエリザベスはまごうことのないチェスの天才。切磋琢磨する仲間や師匠を持たず、頭の中に浮かぶ棋盤を頼りに腕を磨いてきた。彼女を演じるのはアニャ・テイラー=ジョイ。ファニーフェイスだが美しい大きな瞳が印象的な良い女優だ。(僕はシャマラン監督の『スプリット』でのケイシー役で彼女に魅せられた。寡黙で、強い意志を漲らせたその瞳は実に魅力的だ)
チェスを題材にした作品では、実在するチェスの世界チャンピオンのボビー・フィッシャーの生涯を描いた『完全なるチェックメイト』での、ボビーの奇行ぶりを思い出すが、本作のヒロイン エリザベスも 高い知能はさすがながら薬物やアルコールへの重度な依存症など、社会性の欠如具合は相当なものだ。
一芸に秀でた者にサイコパスが多いとはよく聞くし、飛び抜けて凄い才能(ギフト)を得たことの引き換えになにかを失うということは、ある意味神の公平さを思わないでもないが、エリザベスの場合、女性の社会進出が今よりはるかに難しかった時代にあって、しかも男性のサロン的な世界であったチェスにおいて その頂点を目指すという激しいプレッシャーとも戦わねばならなかったわけだ。そう考えれば、彼女の生き方の偏りを非難することはフェアではないし、むしろそんな破滅的な生活を送ってでも闘いに身を投じた彼女を応援するべきだろう。
チェスの奥深い世界に魅せられるのはエリザベスだけではない
ちなみに、チェスのルールは分かるしプレイもできる僕だが、奥深い定石の数々や戦略・戦術には疎く、本作を見るにあたり、多くの場面で聞き馴れぬ専門用語をいちいち調べなくてはならない羽目になった。もちろんそんなものは無視して見進めてもいいわけなのだが(事実、長じて大会で成果を挙げ始めるエリザベスにして、都度初めて聞く用語に戸惑うシーンが多かった)、エリザベスが耳慣れない言葉に引っかかっていちいちそれを覚えようとするように、見ている我々もまたチェスの知識を一つ一つ得ることができる仕掛けになっているのが本作だ。
(エリザベスが最初に覚えるオープニングは、シシリアン・ディフェンスという)
藤井聡太二冠(2020年10月現在)の出現によって将棋に関心を抱く人も増えて、ルールや用語がより身近になってきたかもしれないが、欧米人にとってのチェスは、我々にとっての将棋以上にカルチャーや教養の1つとして欠かせない文化なのだから、改めてその手ほどきを受けるつもりで本作を見るのも、正しい楽しみ方の1つであると僕は思う。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。