ZOZOTOWN(スタートトゥデイ)創業者の前澤友作氏が破格の金額(1億1050万ドル=2017年5月当時の為替相場で123億円相当)で落札したことで日本でも話題になった、夭逝の天才画家ジャン=ミシェル・バスキア。
彼のドキュメントと 伝記的作品をまとめて紹介。
画像1: 『バスキア、10代最後のとき』『バスキア』27歳でこの世を去った天才画家の青春の刹那

27歳で死ぬことがロックだった時代のヒーローの1人

20歳で頭角を現し、アンディ・ウォーホルやマドンナらとの交友など派手でスキャンダラスな私生活でゴシップを撒き散らし、27歳の若さでこの世を去った天才画家 バスキア。
白人優位のアート界にあって、黒人アーティストとして出色の活躍を見せた彼の短くも精力的かつ野心的な人生を、巧みに描き出した二つの作品を、続けざまに観た。

1つは2017年公開のドキュメンタリー『バスキア、10代最後のとき』。バスキアと交流があったさまざまなアーティストたちの、インタビューと生前のバスキアの資料映像を見ることができる。
もう1つは19歳から27歳の、いわばバスキアが世に出る寸前からこの世を去るまでの数年間を描いた、事実に基づいた創作物『バスキア』。こちらは1996年公開の、古い作品なのだが、晩年のバスキアと交流のあったアンディ・ウォーホル(彼自身がバスキアの死の前年=1987年にこの世を去っているのだが)をデヴィッド・ボウイが演じているうえに、バスキアのバンド仲間としてベニチオ・デル・トロ、その他ゲイリー・オールドマン、ウィレム・デフォー、デニス・ホッパー、クリストファー・ウォーケンなど、超一流の俳優陣がこぞって出演している、もの凄い一本。

ちなみにバスキアは27歳でこの世を去っているのだが、伝説のギタリストでありミュージシャンのジミ・ヘンドリックス(1970年9月18日没)と死んだ年齢や死因がかぶることから、彼をアート界のジミヘンと称することがあったらしい。(もう1つちなみにいうと、享年26歳でこの世を去った尾崎豊も、27歳の年だったこともあり、27歳までに死ぬことがロックでクールなことだと考える若者が1970-80年代には数多くいた)

いずれにしても早く成功して 若く美しいうちにこの世を去りたい、流星のような一瞬の輝きを放ちたいと願う若者たちの、シンボルのような存在なのだった、バスキアは。

画像: 映画『バスキア、10代最後のとき』予告篇 youtu.be

映画『バスキア、10代最後のとき』予告篇

youtu.be

君はバスキアを知っているか?

製作年度からいえば、『バスキア』→『バスキア 10代最後のとき』の順番で観るべきなのだろうが、僕は反対の順番で観た(つまり『バスキア 10代最後のとき』→『バスキア』の順)。単に尺の長さと翌朝の予定を鑑みて決めただけだったが、結果的には良い判断となった。前者は生前のバスキアと交流があった人々の想い出話を中心に、バスキアの人となりやアーティストとしてのスタイルなどを説明していく手法のドキュメンタリー、後者は役者が実在の人物たちを演じる、実話ベースのフィクションで、スター前夜のバスキアの様子と、一気に成功してこの世を去るまでの数年間を描いた作品だが、この順番で観たおかげで、バスキアに対する基礎知識を得たうえで映画を楽しめることになったと思う。

つまり、僕はバスキアをあまりよく知らなかったのだ。

実は、バスキアに対しては、1980年代に人気を博した流行りのアーティストの1人という印象以上の知識を持っていなかったので、ただ映画を観ただけでは、野心家の若者の短くも儚い青春ストーリーを一本消費した、というほどの感想しか持てなかったに違いなかった。
だから、多くの人が 彼の才能を惜しみ、称賛する様を見てから、彼の人生をなぞったおかげで、著名なアーティストの生き様を追うための心の準備ができた、そしてそれはその方が良かったに違いない、と自分の選択を素直に喜べたのである。(バスキアの名前は知っていても、彼の作品や生い立ちをあまり知らない人ならば、僕と同じ経路を辿ることをお勧めする)

バスキアは、地下鉄や街中の壁やシャッターなどに絵や(意味ありげな)言葉(=グラフィティ)を描き殴るストリートアーティスト出身であり、その意味ではバンクシーあたりと比べて考え、捉えるべき存在かもしれない。
もしくは晩年に交流のあったアンディ・ウォーホルらと同じ 現代アート、それもポップアートの代表格の1人とみれば良いかもしれない。

作中でも語られるが、彼は(プエルトリコ系移民の母親とハイチ系移民の父親の間に生まれた)黒人アーティストとして、当時(1970-80年代)の白人優位のアート界にあって 出自そのものが目立つ存在だった。そのこと(=白人ばかりの業界で、黒人だから“珍しい”という理由で成功したと思われること、もしくはそれを利用していると言われること)をバスキアはかなり嫌がっていたらしいが、彼自身は確かに 売れるためにやれることは何でもやるという打算的なスタンスでいたと思う。そもそも、アートで生計を立てるのは現代でも簡単なことではないから、どんなことをしても売れてやる!と思い 野心を持つことは全く悪いことではない。とはいえ、芸術家として、本人的にはそれを指摘されるのは不本意であったのだろう。

バスキアの“天才”を正当に判断できるほどの絶対美感を持ち合わせない僕は、(幼稚あるいは稚拙な悪戯描きとも思える)彼の作風は嫌いではないにしても、何億も出して飾りたいとは思えない。それを言ったらウォーホルの作品の価値だって理解できないのだが、2020年代になっても多くのシンパやファンを持つウォーホルに比べるとバスキアの知名度や評価は既に相当過去のものになっている気がする。(ウチの=リボルバーの オフィスのコンセプトも、ウォーホルのスタジオとして有名な FACTORYから結構あやかっている

そんな中、なぜ今僕がバスキアの生き様(ドキュメンタリーにせよ伝記映画にせよ)に興味を持ったのか、そのきっかけは自分でも思い出せないのだが、それでも40年以上前にこの世を去った1人のアーティストの青春の刹那は、鋭利なナイフが放つ鈍い光のようであり、自分が長く生きすぎていることをいささか恥じるというかおもはゆくさせるものであった。

バスキアが死んだ年齢(27歳)を遥かに超え、ウォーホルが他界した年齢(58歳)に近づいている現在、若くしてこの世を去る天才に憧れる時期はとうに過ぎ、しぶとくこの世にしがみつくことへの虚しさは感じながらも、才能の開花はこれからなのだと信じたい凡夫は、せめて酒の肴にバスキアの煌めく言葉の引用でもしてやらんと、ささやかに思うほかないのが現実である。

画像2: 『バスキア、10代最後のとき』『バスキア』27歳でこの世を去った天才画家の青春の刹那

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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