フランケンシュタインの怪物を世に出したのが女性であったという事実を知っていただろうか?
冒頭に、ドラキュラと並ぶ怪物フランケンシュタイン、と書いたものの、実のところこれは一般的に流布する誤解。
フランケンシュタインとは、怪物を創った科学者のことであり、フランケンシュタイン博士が創った怪物には名前さえ与えられていないのである。
原作者のメアリー・シェリーがフランケンシュタイン博士と怪物についての小説を書き上げたのは、弱冠18歳の時だ。本作は、メアリーが夫である詩人のパーシー・シェリーと初めて出会った16歳から18歳までの2年間余りを描いているが、舞台となっているのは18世紀末から19世紀初頭のロンドン。
人間の文明を下支えする主役が宗教から科学へと変化し始めた時代だが、科学や医学が錬金術や降霊術のような怪しげな術式から枝分かれしたばかりの、まだ社会的な信用を得られていない時期のいかがわしさをそのまま文字に落とし込んだのが、メアリーが生み出した作品である。
本作(映画)は、フランケンシュタインの怪物を世に出した女性の話ではあるが、全体的には18-19世紀における恋愛のあり方を示したものであり、ホラー小説の作家の生涯や 創作の背景を語ったものではない。フランケンシュタイン博士や彼が生み出した怪物、そして彼らの悲劇の実際を教えてくれるようなストーリーではなく、小説家を目指す有能な女性にしてなかなか世に受け入れられない当時の社会情勢をあくまで当時の目線で描くとともに(つまり現代人の感覚ならば憤懣やストレスを溜めていく一方であろう女性たちの社会地位の在り方も、先進的とはいえ当時に生きた女性であるならば 多少の不満はあろうがそれらをそれらの"差別"を当たり前のものとして受け入れたわけで、そのストレスの捌け口は恋する男の甘い言葉を楽しむことで発散されていたし、本作においてもそのように描かれているゆえに)正当な恋愛劇として成立している。
だから、本作を観た後で我々が感慨を受けるとしたら、フランケンシュタインの怪物を生み出した原作者が女性、しかも18歳の少女であったという事実に(そして、これだけ有名なこのモンスターについて肝心なことを知らなかったという事実に)衝撃を受けることくらいかもしれない。
怪物=フランケンシュタインではなく、怪物=フランケンシュタインが創り出した人工生命体
ちなみに、前述したように、メアリーが創り出したこの怪物には名前がない。創造主であるフランケンシュタインが、怪物に生を与えることには成功したもののその醜さに絶望して、彼に名を与えるどころか、その命を奪おうとしたからである。
メアリーが創り出した物語では、死者を蘇らせ、新たな生命を生み出す“実験”に取り憑かれた若き科学者フランケンシュタインが、土葬された複数の死体を繋ぎ合わせて怪物を作り出す。怪物には実は知性も良心も備わっていたが、死体から生み出されたがゆえに酷く醜悪な容貌であり、そのあまりの醜さにフランケンシュタイン博士によって抹殺されかける。しかし、底知れぬ体力を持つ怪物は 自らの創造主の意図に反して生き延び、自分を生みながら愛してもくれない“親”フランケンシュタインへの復讐の想いに駆られるようになる、という話だ。
本作は、前述のように 基本的には『フランケンシュタイン』の作者をヒロインに置いた恋愛劇であり、夫となる詩人のパーシー・シェリーとの出会いを経て、彼女がその創作物を世に出すまでの2年余りを描いた作品であってホラー的要素はゼロだし、従ってフランケンシュタインの怪物の姿が描かれることもない。つまりメアリーがこの傑作を生み出した背景に、パーシーとの暮らしがあったかも知れないにせよ、フランケンシュタインの怪物が自分の“父“に抱いたであろう憎悪と思慕が、メアリーが父親や夫もしくは彼らが代表する当時の男たちからの“実効支配”への反発のメタファーになっていたとしても、本作を通してその繋がりに想いを馳せるまでにはなかなか至らない。
その結果、本作を観た感想は、結局 フランケンシュタインと呼ばれる怪物を生み出した作者が若い女性だった、という事実を知らされた、ということになってしまうのである。
小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。
ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。