インディアン(アメリカ大陸の先住民またはネイティブアメリカン)との血で血を洗う抗争に従事してきた騎兵隊大尉のジョー(クリスチャン・ベール)は、かつての宿敵シャイアン族の長とその家族を居留地へと送り返す任務を命じられる。
原題は「Hostiles」。敵対する者たちとでも訳せば良いだろうか。
先住民を駆逐して、新大陸に居場所を作ってきた白人たちと、迫害に対して激しい抵抗を繰り広げてきた先住民族との間に横たわる拭がたい憎悪と怨恨。そんな負の感情を抱えながら荒野を渡る旅をすることになった彼らを待ち構える運命とは??
画像: 『荒野の誓い』予告編 9月6日(金)公開 youtu.be

『荒野の誓い』予告編 9月6日(金)公開

youtu.be

都市化していく米国の変革速度のズレが、新しい“西部劇”の舞台を生んでいる

西部劇といえばインディアンと騎兵隊の撃ち合い(もしくは荒くれ者対正義のガンマン)、というのはもはや過去の話。ジョン・ウェインのようなマッチョな白人が活躍するエピソードが映画化されることはもはやない。

21世紀に製作されるべき西部劇は、米国全土が都市化するほんの少し前の時代、近代化されていくわずかな隙間時間に非都市部=未開の大地に展開した人々の生活を描いた、リアリティある物語の舞台なのである。
(エジソンが白熱電球の商用化を果たしたのが1879年、エジソン陣営(直流派)とテスラ・ウェスティングハウス陣営(交流派)が大都市への配電技術を競う電流戦争を繰り広げたのが1880年代。本作の時代設定は1892年!だ)
日本で言えば江戸時代と明治とで、わずか数年でまったく心象が異なる絵図になるように、アメリカという国が、急激に姿を変えていく、恐ろしく流れの早いタイミングこそが、この19世紀終盤の、西部劇という名で多くの制作物がリリースされてきた時代なのである。

先住民への罪の意識はあるし、謝罪するつもりもある

本作のストーリーは、先住民との激しい闘いに人生の大半を捧げてきた軍人(クリスチャン・ベール扮する大尉、ジョー)が、退役前の最後の任務として、憎んでも憎みきれない先住民のリーダーの1人(シャイアン族の族長)とその家族を居住地に送り届けるための護衛役を任じられるという設定になっており、その道中で彼らに対する敬意と友情を抱くようになっていく、というものだ。
多くの部下や同僚、友人を殺されてきたことで、先住民に対して深い憎悪を抱くようになっていたジョーだったが、よくよく考えれば自分たちこそが侵入者であり、先住民たちは自分たちの権益を守ろうとしたに過ぎない。悪いのは自分たちの方ではないのか?と思い返す。

また、ジョーら一行は、先住民の中でもより残虐で好戦的なコマンチ族によって家族を惨殺された女性ロザリー(ロザムンド・パイク)を保護し、安全な土地に送り届けようとするのだが、彼女もまたシャイアン族の誇り高い振る舞いに 高い知性と教養の存在を感じるようになる。“インディアン”という侮蔑的・敵愾的な括りですべての先住民をまとめるべきではないと気づいたということであるが、同時に 前述したように 先に手を出したのは自分たちでありコマンチ族の仕打ちでさえも 先に蹂躙されたことへの復讐心の発露であったかもしれないのだ。

本作においては、ジョーの副長格として黒人兵士が配されており、白人対黒人という差別の形には触れることはない。あくまで白人対先住民という対立軸が描かれているが、かつての西部劇の定石(悪い先住民=インディアンの暴力に対抗するガンマンたち)とは違って先住民から土地を奪った罪を白人側が認める形になっている(とはいえ、土地を返すわけではない)。

先住民側からすれば生ぬるいという感想になるかもしれないが、さまざまな差別に対して少しでも反省して意識を変えていこうとする動きがアメリカという国の良さであるとは言えるはずだ。

画像: 『荒野の誓い』クリスチャン・ベール主演の“新しい西部劇”のスタイルとは。(2019年9月日本公開作品)

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.