文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。
アーヘンという標識が現れた。アーヘンはベルギーに近い街で、13年前に滞在したことがある。ベルギーグランプリを取材するためだった。近くにホテルを確保できず、アーへンから毎日国境を越えて、スパフランコルシャンまで通っていた。
アーヘン方面に「ケルペン」という街の標識が出てきた。ミハエルとラルフのシューマッハ兄弟の生家があるところとして有名になった小さな街だ。インターチェンジ脇に、その生家であるゴーカート場がちょうど見えた。敷地が拡大し、建物も増えている。かつて彼らの父親は、このゴーカート場の管理人として働き、母親は売店でホットドッグを売っていた。新しい建物の壁には、ブリヂストンやビットブルガー・ビールなどのスポンサーロゴが大きく描かれている。
ドイツとベルギーの国境には標識以外に何もなく、そのまま通り過ぎる。地図を見れば、この先、西に進めば、さほど時間を要しないでフランスとの国境を越えることになる。何ごともなく、ベルギーを通り抜けることができるだろうが、実は心配事がひとつあった。
僕らは、今回の旅のためにカルディナのカルネを申請してこなかった。カルネとは、自動車やバイクなどを外国に持ち込む場合に、その国で売却せずに帰国時に持ち帰ることを前提に関税免除を受ける制度だ。
出発前にカルネについて調べてみると、業務を担当しているJAFの職員が電話で教えてくれた。
それによると、ヨーロッパではEU誕生が決定的になり、カルネ制度が有名無実化しているというのだ。実施しているのは、デンマーク、イタリア、オランダ、そしてベルギーその他だけだという。また、それらの国を短時間で通り過ぎるだけならば、取り締まりを受けてカルネの不備を追及されることも、現実的にはまあないだろう、と。国境が消滅していっているのだから、調べようがないのは自明のことだ。だいいち、日本を発つ前は、いずれの国も通過する予定ではなかったのだ。だから、カルネは申請しなかった。
エンジンはやや不調
1日でパリまで移動する
ベルギーはオートルート(高速道路)から降りることなく、そのままフランスに入ったので、カルネ不備の心配は杞憂に終わった。
道路コンディションや交通マナーの良さに加えて、ヨーロッパに入ってうれしかったのは、サービスエリアの充実ぶりだった。これも、当たり前のことだが、消費財や食事の質と量に欠くところの大きかったロシアから較べると、天国のようだ。
サービスエリア内は清潔で明るく、モノであふれている。レストランのメニューは厚く、美味しそうだ。いつもだったら、たとえヨーロッパといえども、高速道路のサービスエリアでの食事に美味しさなんて感じなかった。正確には「感じる心構えになかった」ほど口が奢っていた。それが、どうしたことだろう。ゲンキンなもので、たった一ヶ月間ロシアにいただけで、何でもありがたく感謝している。
給油も大違いだ。ロシアでは、給油する分の料金を現金で前払いしてから、ポンプのスイッチが入れられていたのに、こちらでは入れた分を後払いすればいい。店員のにこやかな挨拶付きで、クレジットカードだって使えるのだ。
リューべックに上陸してから、給油について田丸さんと注意していたことがある。それは、ロシアで頻発していたエンジンの「咳き込み」についてだ。ガソリンをなるべく空タンクに近いところまで使い切り、満タンにすることを何度か続ければ、原因がガソリンの質にあったとすれば、ロシアで入れたガソリンをなるべく早く燃やし切れるので、エンジンの咳き込みが直るのではないかと期待したのだ。
しかし、結果は意外だった。咳き込みは直りはせず、発生する回転域が変わったのだ。ロシアでは1700から2100回転に掛けてだったのに、ドイツからは3100回転前後で発生している。症状は変わらず、スロットルぺダルを戻している最中に、失火したようにガクガクッとエンジンを中心にボディ全体が大きく揺すられる。ここまで2回満タンを繰り返しているが、まだ様子を見る必要がある。
この日の宿を決めなければならないが、船旅の間、インターネットにアクセスできなかったので、それを最優先事項として、パリに泊まることにした。シャンゼリゼでもクルーズしたいところだが、渋滞忌避と時問&予算節約のためにシャルルドゴール空港に併設された中から選ぶことにした。ホテル数は多く、ビジネス利用客が多いわけだから、通信環境だって悪くないはずだ。
チェーン展開している「ibis」ホテルにチェックイン。シングルルーム89ユーロ(約1万1700円)と、飛行場脇の「二つ星」といえども、この旅で最高額の宿となった。
ドゴール空港とその周辺の見慣れた光景に、気が休まる。ホテル内のレストランで夕食を摂って、部屋に戻ったらベッドへバタンキューだった。何もすることのない船旅だったが、緊張感による疲労が蓄積されたようだ。ヨーロッパヘ上陸できたことの興奮もあったのかもしれない。
(続く)
金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身のホームページに採録。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌にて連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。