弟が画商を営んでいながら、死ぬまで絵が一枚も売れず(何枚かは売れたという説もあるが)、極貧と妄想の中で自殺した美術界きっての天才 フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を描いた作品。
ゴッホを演じたウィレム・デフォーが、ゴッホの自画像に酷似していることが驚き。

皆がよく知るゴッホの悲劇を再現

画家は狂気と現実の狭間で、恵まれない人生を送る人が多い印象だが、ゴッホはその極めつけだろう。

本作では、フランスの片田舎であるアルルに移り住み創作活動に打ち込んだ彼と、彼(とゴッホの弟であり画商のテオ)の呼びかけに応じてアルルにやってきたゴーギャンとの、2ヶ月という短い共同生活が描かれ、ゴーギャンがパリに戻ったあとすぐに精神に破綻をきたしていくゴッホの哀しい晩年へと続く。

ゴーギャンを演じるのは「スターウォーズ」新3部作や「エクス・マキナ」での活躍で知られるオスカー・アイザックだが、遅筆かつ想像力を創造に繋げるタイプのゴーギャンは、写実的で目の前にある“美”を描きたがる上に、速筆で大量生産型のゴッホが気に入らない。要は気性が合わないし、アーティストとしてのスタイルがまるで違うのだ。

だから2人はことあるごとに衝突することになり、より現実的で、射倖心も強いゴーギャンのほうが先に見切りをつけてアルルを去ることを決意する。

逆に、同じく彼我の違いは理解していながら、それ自体をさほど苦にしていなかったらしいゴッホは、ゴーギャンに見捨てられたという想いを強く抱くことになる。そしてそのことが、彼の芸術家らしい繊細な精神を破壊し、有名な片耳を切り落とす事件を起こすなど、悲惨な最期へと自身を追い込んでいくのである。

非業の死は自殺?それとも?

通例ではゴッホは銃による自殺を遂げたとされているが、本作では近所に住んでいた少年2人が手慰みしていた拳銃の誤射により亡くなった、という説を採用している。
致命傷になった銃創が頭部ではなく腹部であったことや、その腹への入射角が自殺にしては不自然と思われることなどが、この説を有望視させているらしいが、ともかく本作ではゴッホはある意味事故死、狂気と貧困の中にいながらも、自殺ではない、という設定になっている。

画像: 【公式】『永遠の門 ゴッホの見た未来』11.8公開/海外特別映像 youtu.be

【公式】『永遠の門 ゴッホの見た未来』11.8公開/海外特別映像

youtu.be

そのラストへの解釈をどう受け止めるかは、観客の想いに委ねるとして、本作を観れば、基本的には皆が思うゴッホの姿を追うことができるだろう。

デフォー演じるゴッホは、描いても描いても売れず、それどころか人々から敬遠されることになる現実にありながら、自分が画家として神から特異な才能を授けられたことを疑うことがない。ただ、その作品の素晴らしさを世間が理解するタイミングが今ではない、残念ながら少しズレてしまっているかもしれない、と感じている。

実際、知ってのとおり彼の死後 ゴッホ作品は類い稀な芸術作品として世間に受け入れられるわけだが、作品の持つ意義と、それに対する評価が定まる時期がズレてしまうことは、良くある気がする。
本作では基本的にゴッホは 天才と狂人のスレスレであるように描かれているが、作品終盤に描き出される彼の自己認識は、後世に生きる我々にとって 至極納得できる現実的なものだ。

その意味で、ゴッホは狂っていなかった、少年たちの誤射による死、という哀しい結末を支持するべきだ、ということが本作の主張であるならば、それはそれで納得のいくものかもしれない。

画像: 『永遠の門 ゴッホの見た未来』不遇の天才ゴッホをウィレム・デフォーが再現

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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