2003年の夏、東京からポルトガルのロカ岬まで1万5000kmあまりを中古のトヨタ・カルディナで走り抜いた自動車評論家とカメラマンがいた。この「ユーラシア大陸自動車横断紀行」という連載企画は、その2人が実際にステアリングを握って走り、目で見てカメラで撮影し、そして直接経験したことから感じて、さらに考えたもの「そのもの」である。「森」を見ることを通じて、「木」や「葉」を知る意味を確認できた。
最終回となる今回は、エピローグ後編をお届けします。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

机上で準備できることと実際の体験で得たもの

狭い日本を出て、クルマで行けるところまで行ってみよう。走り続けた先には、何が待っているのか。いつもは飛行機でひとっ飛びのヨーロッパまで、クルマで行ってみよう。

それを具現化してみたのが、ユーラシア大陸を横断することだった。何か捜し物があって、ポルトガルのロカ岬に向かったわけではないのだ。ああやって、虫のように、ロシアを走り抜ければヨーロッパに到達できるはずだ。ヨーロッパに入れさえすれば、後は慣れたものだ。どのルートからだって、ロカ岬まではつながっている。

ヨーロッパに入りさえすればこっちのものだったが、最大の問題は、いかにロシアにクルマで入国し、走り抜けるかだった。手本もなければ、情報も少なかった。

ロシア問題を出発前にどれだけシミュレートできるかが、旅の成否を左右すると予想された。でも、それは半分正しく、半分間違っていた。ロシアを走ることは、警戒していたほど厄介なものではなかったのだ。

富山の伏木港から乗ったフェリーで着いたウラジオストク港でのカルディナの 通関作業も簡単に済んだし、僕らの入国検査も呆気なかった。

郊外の道路事情の悪さは予想通りだったが、ガソリンスタンドは心配していたよりも数多く存在していた。もっとも、“スタンド”と呼べるような立派な建物を備えた業者は都市部のごくごく一部にしかなかった。その代わりに、タンクローリーのホースから直接給油するような荒っぽい販売方法の店が、街道沿いにたくさんあった。

出発前に得られた少ない情報にも含まれず、ロシアのガイドブックにも記されていなかったのが、国道の要所々々に設営されている検問所だ。中国やモンゴルなどの隣国と長い国境で接しており、国境を警備する目的で軍人と武装警官が常駐していた。検問所を通るクルマは、アトランダムに停められて、尋問と荷物検査を受けなければならない。

または、検問所は移動の自由が制限されていた社会主義時代の名残りなのかもしれない。

十字架に磔られて血を流すキリスト像は、ジェロニモス修道院にあった。

だが、テレビのニュース映像などでも、バグダッドやカブールで同様の検問所を見たから、国民の移動の自由というのは政治体制を問わず、まだまだ限られた地域だけのものなのかもしれない。

検問所の存在には、強烈な印象を抱かされた。日本と欧米とアジア・オセアニアの一部しか走ったことのない経験からは、想定できないものだった。タンクローリースタンドや検問所は、喩えてみれば“木”のようなものだった。場所が変われば木の植生が変わるように、国や地域が代われば人間とクルマのあり方も変わってくる。ロシアでは、見たこともないカタチや色、生え方の木をたくさん見ることが出来た。

画像: ロシアの草原でひと休みする金子氏たち。

ロシアの草原でひと休みする金子氏たち。

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