オートバイ2021年7月号別冊付録(第87巻第11号)「Adoration」(東本昌平先生作)より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集:楠雅彦@dino.network編集部
なんでだろう?バイクから遠ざかってしまった男の不思議
「どうするんネ?」と妻が言った。「もう乗らんとでしょがぁ」
寝そべりながら私は、このところ毎年のように繰り返されるこの問いかけを何かの呪文のように思いながら、無視を決め込もうとしていた。
自動車税を徴収される時期になると、妻は冷たい表情を私に向ける。それがここ何年かの“名物”だった。
「税金ばぁこげん払いよる。つまらんがぁ」
例年より語気が荒く感じた私は、縁側に寝そべったまま外へと視線を向けた。ほとんど捨てた状態にあった原チャリで遊ぶ息子たちの姿をぼんやり眺めながら、私は妻の繰り言をただただ聞き流していた。
バイクに乗らないバイク乗りはただの・・・
そうか。はやいものだ。
いつのまにか子供がバイクで遊ぶ歳になっている。
私は時間の流れの速さに慄く思いで、息子たちの姿を眺めていた。
そうか、早いものだ、と私は再び思った。最後にバイクに乗ったのはいつだっか?子供の成長を見て、私は自分の“衰え”を思った。別に体力に自信がなくなったわけではない、なのになぜかバイクから離れていた。その理由がなにかはわからない、ただ私はいつのまにかバイク乗りではなくなっていたのだ。
この自覚は、妻からの口撃よりも強く私を打ちのめした。
私は上着を持って、家を出た。少し離れた場所に借りたガレージにひとり向かったのだ。
久しぶりに再会した愛車
歩いててものの数分とかからない、そんな都合のいい立地にガレージはあった。シャッターを開けると、そこには火の玉カラーのゼファーが佇んでいた。
よぉ、久しぶりだな、と愛車が挑発するかのように私の視線を跳ね返す。乗れんのか、いまさら?
わずか数年離れていただけさ、私は今でもバイク乗りなんだ。なんの問題もないさ。
もっと、もっとだ
数年ぶりに愛車に跨り、私はスロットルを開けた。
はじめてバイクを手に入れた若い頃、どこへも行ける、どこまでも行ける、そう思った。
あの時の気分を、バイク乗りの高揚をなぜに私は忘れていたのか?
もっと、もっとだ。私は右手に力を入れてアクセルを捻り続けた。
楠 雅彦|Masahiko Kusunoki
車と女性と映画が好きなフリーランサー。
Machu Picchu(マチュピチュ)に行くのが最近の夢(けっこうガチになってきている今日この頃)