水槽暮らしのヤドカリにゃあ、そんなこたぁあまり関係がないけれど。
オートバイ2022年6月号(第88巻 第6号)「Freedom」(東本昌平先生作)より
©東本昌平先生・モーターマガジン社 / デジタル編集:楠雅彦@dino.network編集部
深夜の地震がなにかを変えた?
オイラはヤドカリ。名前はまだ?ない。てか、つけてくれるかどうかも知らん。
なんの因果か水槽暮らしをしちゃあいるが、もともとは広い海で自由気ままに生きていたんだがな。まあ、いくら広くてもヤドカリのオイラにとっちゃ、水槽も海も、どっちが広かろうが狭かろうが大した違いはない。餌を探す手間がなくなったし、誰かにとって喰われる心配がないだけ、今の暮らしは恵まれてると言えるのかもな。
そんな呑気な生活が大きく変わるきっかけはある夜のことだった。唐突に起きた地震で水槽の水がこぼれ、オイラ以外の魚たちはみんなおっ死んじまった。
ひとり残ったオイラを見つめて、飼い主の人間は感慨深げに言ったのさ。「のこったのはオマエだけだナ」
恐らくはその瞬間に飼い主はオイラを海に帰そうと考えたんだろうと思う。どういう心境の変化だったのかは知らん。そもそもヤドカリのオイラにとっちゃ、どうでもいいことだったんだが。
週末、バイクが向かった場所は?
地震が起きた日の週末、オイラをペットボトルに入れて、飼い主はバイクを走らせた。
どこに行くつもりか、なぜおいらを連れていくのか、オイラにゃとんとわからなかったが、バイクはあっという間に都心を抜けた。
もうすぐだからナ、と飼い主はオイラをどこか嬉しそうな顔で眺めながら言ったが、オイラにはなにがもうすぐなのかはわからなかった。まあ、どうでもいいんだが。
自由とはなにか
バイクの目的地は、一番近い海岸だった。
飼い主はオイラに向けて「達者でな!」というと、オイラを海に放した。
水槽という狭い空間でぬくぬく生きるより、厳しいが広くて気ままな海で自由に生きろ、と言いたかったのだろう。
ヤドカリのオイラにゃどちらでも大して変わりはないはずだったし、生きていくことのツラさや困難を再び味合わなきゃならないのかと思ったが、その厳しさに堪えることで得られる 自由とやらの価値がわからないこともなかった。オイラは深く呼吸をして、海底に向かって少しずつ歩き出したのだった。
楠雅彦 | Masahiko Kusunoki
車と女性と映画が好きなフリーランサー。
Machu Picchu(マチュピチュ)に行くのが最近の夢。蚊に刺されまくっても行きたい。